姉妹関係

妹に本を買った。誕生日でもお祝いでもない。買い物のついでに本屋に寄って本を見ていたら、なんとなく、唐突に、妹が本を読んでいる姿が頭に浮かんだ。私は読書が好きだが、妹はとくにそういうわけではない。
買ったのは、700円程度の文庫本。眼鏡をかけた女の子が表紙をかざっている。10年くらい前の小説だ。読んだことはあるが、内容はぼんやりとしか覚えていない。
帰宅して、久しぶりに妹の部屋の前に立った。高校生の妹とは、一緒に住んでいるにもかかわらず、あまり顔を合わせることがない。妹は基本的に、学校へ行くとき、食事、風呂、トイレ以外は部屋にこもりきりである。私が仕事に行く時は妹はまだ寝ているし、仕事から帰ってくる時間にはすでに夕飯を食べ終え部屋に戻っている。生活リズムが微妙にずれているのだ。
待て、なんて声をかけたらいい。普段、自分から妹に話しかけることもなければ、妹のほうから話しかけてくることもない。我ながら非常にクールな姉妹関係だと思う。突然「やあ、本でも読まないか」なんて、気持ち悪がられるに決まっている。これでも数年前までは仲が良かったのだ。よくふたりでニコニコ動画を見て笑っていた。私の部屋で、パソコンに繋いだイヤホンを片耳ずつにして。懐かしい。できることなら戻りたい。
「おーい」
とりあえずドア越しに声をかけた。無反応。ドアをノックしながら続けて声をかける。
「おーい。何してる」
駄目だ、出てきてくれない。少々強引な気もするが、静かにドアを開けてみる。
と、偶然振り向いた妹と目が合ってしまった。妹はイヤホンをして音楽を聴きながら勉強していた。邪魔をしてしまったようだ。余談だが妹は高校での成績がかなり良いらしい。尊敬している。私は高校時代、数学で100点満点中3点を取ったことがあるというのに。
「あっ、えっと、ごめん」
私は何故か妹相手に挙動不審になってしまった。いや、だって、二人きりになるのが久しぶりすぎて。
「あの、あのさ、これ、いる?」
「………いる」
妹は思ったよりも素直に本を受け取ってくれた。突然勉強の邪魔をしにきた不気味な姉を不思議そうに一瞥し、また机に戻った。
「じゃあ、その、勉強頑張って」
私がそう言ってそそくさと部屋から出てドアを閉めようとすると、妹はつぶやいた。
「ありがとう」
私は顔が熱くなってしまった。なんだろう、死ぬほど照れくさい。妹と目も合わさず、何も言わずにドアを閉めてしまった。
よかった。たとえ一度も読まれることがなくても、ブックオフで売られようとも、捨てられようとも、いいのだ。とにかく、妹に本が渡せてよかった。私が無理矢理押し付けただけで、あんまり意味のない行為だったかもしれない。けれども、妹の「ありがとう」のひとことで、私は得も言われぬ安堵感に包まれた。感謝の言葉が欲しかったわけでもないし、本来の目的とは違うけれど、妹が、ちゃんとありがとうと言えることに安心した。本当のところは迷惑だったのかもしれないが、とりあえず姉に対して気を使ってくれた妹を誇りに思った。

なら私はお前と過ごした日々は時間の無駄だったと死ぬまで言い続ける

雪が溶けたらたくさん遊びに行こう。買ったばかりの車を走らせて、遠くまでドライブするんだ。前にテレビでやってた喫茶店に行こう。ついでに海も見たい。やりたいことが多い。時間がいくらあっても足りない。まあ、その前に雪合戦でもしようか。
そう思っているうちに夏が終わっていた。
仕事に新生活にと、なりふり構わず必死に過ごす時期も過ぎ、近頃は少し落ち着いてきた。ぼーっとする時間が増えてきてよく昔のことを思い出す。
小学生のときの休み時間のこと。私に“不幸の猫”とあだ名をつけたクラスメイト。中学生の頃、3年間文通をしていた友達。高校生になってハマった音楽のこと。初めて付き合った人。口の周りに付いていた抹茶ラテのあと。大学でやってたバンド。私だけ呼ばれなかったお泊り会。初めてたばこを吸ったとき。就活。就職。初任給。住んだ街。もう会えない人。
誰かがふとつぶやいた言葉。
ある人に「過去のことを考えるのは時間の無駄」と言われたことがある。私は何も言い返さなかったけど、心の中では静かに怒りを覚えていた。勝手なことを言うな。
思い出すのは、もちろん、楽しかった出来事ばかりではない。悔しい思いも失敗したこともつらくて苦しい経験も、数え切れないほどたくさんある。でもそのぜんぶが、大事な思い出であることには変わりはない。思い出は必ずしも綺麗でなければならないわけではない。
誰にだって忘れたいことはある。しかし、そういうことこそ、ほんとうは忘れてはいけないことなのでは、と思う。人間は新しく情報を記憶することはできても、それを削除することはできない。意図的に忘れるという機能は備わっていないのだ。まるで自分の身体が「忘れるな」と言っているかのようだ。
過去を思い出にできるかどうか。つまり受け止めなければならないのだ。そのためには度胸が必要である。つらいことをつらいままで終わらせてはいけない。過去を否定してはいけない。過去がなければ今もないし、未来が生まれることもない。今を生きるために、過去は必須なのである。つらいことを乗り越えて生きる自分を褒めるべきなのだ。あんなに苦しい思いをしていたあの頃に比べれば、たいていのことはどうってことないと思える。
さて、はたして本当にそうなのだろうか。
もしかして、今よりも過去のほうがよっぽどましなのでは。
途端に、過去のどんな出来事より、今のほうがはるかにつらい気がしてくる。

最近よく、“人それぞれ”という言葉を意識する。人それぞれ、ものごとの優先度はちがう。好きなひとにも、嫌いなひとにも、どんなに大切なひとにも、ぜんぜん関係のないひとにも、それぞれにいちばん大事なものがあるし、いちばんに守らなければならないものがある。私たちは人それぞれの違いを認め合うことはできるけれど、違うということはつまり、同じではないということ。そんなことは当たり前だと分かるのだけれど、私はそれが悲しかったし、悔しかった。当たり前で、誰も悪くない事実を示す言葉なのに、あまりに寂しくて、冷たくて、残酷だと思う。この世には、誰も悪くないのに“人それぞれ”なせいで駄目になることが多すぎる。

髪が濡れたままで寝るのが好きだ。朝起きて乾ききらなかった髪を触ると安心する。抗っている感じがする。髪をいたわる成分を売りにするシャンプーのCMを鼻で笑う。全部嘘。ただドライヤーで乾かすのが面倒なだけだ。

葛西臨海水族園

夏になるとNさんのことを思い出す。Nさんと初めて会ったのは4年前の東京駅。ちょうど、東京メトロ丸ノ内線池袋方面の終電が発車した頃だった。
NさんとはLINEのID交換掲示板で知り合い、やりとりをしているうちに会ってみようかということになった。私にとって初めてのオフ会だった。
20時に新幹線乗り場付近で待ち合わせをしていたけれど、21時を過ぎた頃に、「仕事が長引いてるからもう少し待ってて」とNさんから電話があった。すでに1時間以上待っていたが、私はNさんの声を聞いて安心しきっていた。そして結果的には初めて人を4時間半も待つこととなった。その間は何もすることがなく退屈ではあったけれど、決して苦痛ではなかった。Nさんに会うのがとても楽しみだった。
ひとりで新幹線に乗って東京に来たのは初めてだった。待っている間はトイレで念入りに化粧を直したり、新幹線乗り場で缶ビールを開け宴会を始める集団を黙って眺めているなどしていた。
その後何度かNさんとLINEをやりとりして、待ち合わせ場所はメトロ丸ノ内線の改札前になった。終電が発車してしまうと、Nさんが息を切らしながら私の前に現れた。
私はその日、一番かわいいと思う服を着て、髪の毛を巻いて、初めてつけまつ毛をつけた。その日までのNさんとのやりとりの中で、私はさんざん自分はブスで容姿に自信がないと嘆いていた。けれどNさんは私を発見して開口一番に、「かわいいじゃん」と言ってくれたのだった。私は嬉しいような恥ずかしいような気持ちでいっぱいになり、まともにNさんの顔を見れなかった。
「ごめん、終電出ちゃったね」
「ぜんぜん大丈夫です」
私は4時間半も待ったことなんて一瞬で忘れてぶりっ子をした。Nさんが私を迎えに来てくれた。それだけでじゅうぶんだった。Nさんは何度も「ごめんね」と言いながら私の頭を撫でてくれ、さりげなく私の鞄を持ってくれた。
「よし、タクろう」
Nさんはそう言うと私の手を引いて歩きだした。ちなみに“タクる”という言葉を私はこのとき初めて知った。妙に大人っぽくて、憧れるフレーズだった。
タクシーを拾って、ふたりで後部座席に乗り込んだ。Nさんが行き先を告げ、私たちは夜の東京を走り出す。向かうのは葛西のビジネスホテルだった。
しばらくして、隣に座るNさんからLINEがきた。
『足を開け』
私はNさんの顔を横目で見たが、Nさんはスマホの画面を見つめたままだった。
『早く』
私は運転手の目を気にしながら、Nさんの言うとおりに少し足を開いた。羞恥心よりも、とにかくNさんに気に入られたかった。Nさんはさらに続ける。私はそれに従った。
『スカートめくってパンツ見せろ』
『早く』
『いい子』
そんなことをしてる間にタクシーはホテルに到着した。ホテルにチェックインする時、宿泊者それぞれのサインが必要だった。Nさんは“田中太郎”と書いていた。Nさんの本名を私は知らないけれど、偽名であることには違いないだろう。私はとっさに偽名が思い浮かばず、そこに本名を記入した。
部屋に入るとすぐにNさんにシャワーを浴びるよう促された。私は自分の今の状況やこれから起こることに対して、浮かれているのか期待してるのか、もしくは恐怖心からなのか、とにかくドキドキしながら、丁寧にからだを洗った。できるだけ冷静を装って風呂場を出ると、Nさんはすでに寝ていた。私はNさんの脱ぎ散らかしたスーツをハンガーに掛け、Nさんとは別のベッドに入り眠りについた。
目が覚めたのは8時頃だっただろうか。Nさんは身支度を終わらせていて、タブレット端末で海外のバラエティー番組を観ていた。あとで聞いた話だが、英語の勉強のために観ていたらしい。起き上がってNさんのそばに座ると、Nさんはぼさぼさの私の髪を指で弄んだ。
「先に寝てごめん」
Nさんは財布から2万円を取り出し私に差し出した。私は寝起きのぼーっとした意識の中で、外国人の笑い声を聞いていた。Nさんが私の手に握らせた紙幣が、あまりに非現実的なこの瞬間が現実であるということをくっきりと描写していた。
出掛けることになり、どこか行きたいところはないかと尋ねられ、私は水族館に行きたいと答えた。私は当時、葛西に水族館があることを知らなかった。
「え、ディズニーランドとかじゃなくていいの?」
Nさんはあまりに近場に出掛けることと安上がりなことに対しておかしそうに笑っていた。
ホテルをチェックアウトして葛西駅まで歩いた。バスを待っている間に、Nさんが飲み物を買ってくれた。私は結構のどが渇いていてそれを一瞬で飲み干すと「一口くらいよこせよ」と、Nさんはげんこつで私の頭を突くふりをした。
「ごめんなさい。つい」
私はなんだか面白くなって笑ってしまった。Nさんも笑っていた。楽しかった。
バスに乗り、10分程で葛西臨海水族園に到着した。館内に入ってすぐ、Nさんが私に顔を近づけ耳打ちをしてきた。
「トイレでパンツ脱いできて」
私はその日ワンピースを着ていた。下着を脱ぐとかなり涼しくて落ち着かなかった。Nさんのもとへ戻ると、ワンピース越しにお尻を触られた。びっくりしたけれど他の人に見られることはなかった。
「ほんとに脱いだんだ。いい子」
私はNさんに褒められるのが嬉しかった。Nさんは手を繋いでくれた。
その後はおそらく、てきとうに魚を見て回ったのだが、私はほとんどなにも覚えていない。羞恥からか、定かではないけれど、トイレを出てから水族館を出るまでの記憶が抜け落ちている。こんなにも記憶に残らない水族館は初めてだった。(葛西臨海水族園を非難しているわけではまったくない。)その時はNさんの言うことのほうが大事だったけれど、今になって思うともったいないことをした。ただ、Nさんは楽しそうだった。
水族館を出るとNさんは「お寿司食べたくなったなぁ」とつぶやいた。少し遠いが、歩いて回転寿司店に向かった。その間にNさんと話したこともなにひとつ覚えていない。まったく会話をしなかったのかもしれないが。ちょうどお昼時で寿司店は混んでいた。順番待ちの間にNさんからLINEが来た。
『パンツ履いてきていいよ』
Nさんはわさびが食べられない私を笑わなかった。サーモンばかり頼んだ私を笑わなかった。Nさんははまちばかり頼んでいた。
寿司店を出て葛西駅まで歩き、電車に乗って東京駅に向かった。私はその日、家に帰らなければならなかった。帰りの新幹線の時間まで、駅の近くのカラオケで過ごした。Nさんは洋楽を歌っていた。聞いたことのない歌だった。私は英語がわからないから、とりあえず曲に合わせて体を揺らしていた。私は歌えるのが歌謡曲しかなくて何曲か歌ったが、Nさんはちゃんと盛り上げてくれた。
「水族館、ちゃんと見れなかったでしょ」
Nさんが選曲する端末を操作しながら話し始めた。「ふざけすぎた、ごめん」と続ける。
「たしかになんにも覚えてないですけど」
私は苦笑いしながら答えた。
「でも、よかったです」
「何が?」
「Nさんが楽しんでいてくれて」
私がそう言うと、Nさんは「どういことだよ」と笑った。
「私なんかと会ってもつまんないだろうなってずっと思ってたから」
「いや………もう少し自信持てないの?」
Nさんは呆れたような顔をした。
「俺が寝てる間にスーツ掛けててくれたでしょ。気遣いできるんだから。ちゃんとお前のこと見てる人いるよ」
「………」
私は何も言えなかった。
「また行こうよ、葛西臨海水族園

Nさんは東京駅の新幹線乗り場まで送ってくれた。私は今朝もらった2万円をNさんに返そうとしたのだが、「いいから、新幹線代ってことで」と、受け取ってもらえなかった。
「向こう着いたらLINEします」
「うん、気をつけて」
手を振って改札を抜けると、まるで次の日も普通に会えるみたいに、一度も振り向かなかった。

Nさんとはその後自然と連絡を取らなくなり、会うことはなかった。ふたたび葛西臨海水族園に行くこともなかった。しかし、何も覚えていない水族館の思い出は、ある意味強く印象に残っているのであった。

新世界

私はすぐに人を信じてしまうと自分で思っていたけれど、信じたいだけだったことに最近気がついた。ほんとうはこれっぽっちも人のことを信じてなんかいなかったのだ。信じきれなくて自分で勝手にあれこれ考える。そうであるに違いない。そのはずだ。きっとそう。無理矢理思い込もうとしている。“絶対”という言葉を比較的信じていたつもりだが、“絶対”などないと言う人のこともわかる気がしてきた。人を信じたいという意識の中で無意識に嘘を探し続け、必死にそれを打ち消そうとしていた。嘘だと思いながら、嘘じゃないと思いたい。相手が大切な人であるほどその思いは強まっていった。恋人とか。恋人の前で私は小学生になる。小学生になった私の前にいる恋人も小学生になるところが好きだ。寂しいと言うと恋人がいるくせにと怒られる。普段つい寂しいとか孤独だとかつぶやいてしまうけれど、まったくの孤独というわけではない。話し相手がいないわけではない。家族もいるし、少ないしたまにしか会えないけれど友人もいる。ルール違反だと聞いたことがあるが、それでも私は寂しいアピールをしたい。決してひとりで生きているわけではないけれど、つねにどこにも馴染むことができない感覚に打ちひしがれている。いや、他人と関わりながら生きていくことを諦めていないからそう感じるのかもしれない。馬鹿にされてしまうから本当は言い訳などしたくないけれど、弱音を吐くのはそんなに悪いことなのか。どうも私がそちらへ行くことを拒む障害物があるように思う。それが目に見えないのが厄介で、傍から見れば私が何もない場所であほみたいに佇んでいるだけなのだ。この世界では私だけが挙動不審なのだ。世界とは何だ。
世界とは頭の中で思い描いたり作り上げたりした、これはこうあるべきとか、ああなりたいとかこうしたいとか、そういった類の感情ひとつひとつだと私は思っている。人間ひとりひとりにそれぞれの世界があり、さらに、それはひとりひとつではない。膨大な数の世界がこの世にはある。考えることは人間にとって重要な行為である。しかし、考えているだけでは、時間とともに考えていたことすら忘れてしまい、やがてその世界は消えてしまうだろう。一体いくつの生まれるはずだった世界が、誰にも知られることなく失われていったのか。誰もその数を知る者はいないし、その数を知る術もない。ところで、自分のことは自分で分かっているとしても、どうして他人がその世界を認識できるだろうか。できないのだ。存在しないものを認識することはできない。21世紀ではいまだに他人の頭の中を覗くことはできない。
何かを考えている頭の中には、無限の可能性を邪魔するものがなにひとつない。そこにあるのは自由であることの素晴らしさである。あるいは、じめじめとした暗い洞窟で、存在しない出口を探し続け苦しんでいるふりをすることもある。これもある意味自由だ。はじめから答えを出す気などない。自分が作った世界は、良くても悪くても、ぬるくてとても心地良いものであると決まっている。私は今までほとんどずっと、自分の世界に閉じこもりながら、この世界のことは自分だけが分かっていればいいと思っていた。そして自ら世界を閉ざしていたせいで、いつのまにか私と人との間に分厚い壁を作った。子供の頃から、どうせそうだからと自分から折れて、黙って自己完結させる癖がついていたと思う。この間は、私があまりに意思表示をしないから人を困らせた。(これをもしあなたが読んでいたとして、あれは私が悪いわけじゃないと言うのかもしれないが、明らかに私のせいであることは自覚していることをここに記しておく。)私に必要なのは主張することだった。さすがにもう自分のことは自分で解決しなければならない。寂しいことになっている言い訳はできるだけ減らしたい。そろそろ強がるのをやめて人と関わりあいたい気持ちに素直にならなければならない。好きな小説の、失敗を恐れて行動しないよりも行動して失敗したほうが何倍もためになるというような意味の一文を思い出した。結局それが他人に通用しないとしても、消えてしまうのなら結果は同じことだ。生まれないものを誰かに伝えることはできないのだ。忘れてしまうくらいなら、言葉にしておきたいと考えた。ただし、私には口がないから声に出すことはできない。文字は便利だ。疑問に思うのだが、人はぺらぺらとよく喋るが、自分が喋ったことを永遠に忘れないようにする方法が文字以外にあるのだろうか。初めから文字を使えばいいのに。
私の世界をすべて正しく理解し得る人間は存在しない。また、誰かの世界をまるごと私のものにすることもできない。きょうここに文字を使って言葉として生まれた私の世界が真実なのか嘘なのか、もしわかる人がいれば教えてほしい。

時間の話

私は何か作業をするときによく音楽を流しながら取り組む。時計を見る必要が減る。例えば約5分の曲を繰り返し流し続けるとする。おおよそ5分間を区切りとして行動することができ、なんとなくだが時間の使い方が上手になったような気になる。次終わるまで休憩。3回リピートし終わるまでここまで終わらせる。
通勤するときは好きな曲を集めた54分12秒のプレイリストを流していて、するとだいたい5曲聴いたところで目印になる店を通過し、最後の曲が流れ始める頃に職場のそばに着く。その曲を聞き終えてから出社する。
もちろん常に音楽を流し続けていられるわけはない。まさにしーんという擬音が聞こえてきそうなほど静かな時間を過ごすことがある。そんなときにふと、無音というのは良くないと思った。時間が無限にあるように感じてしまう。逆にこの時間がなんの合図もなしに突然終わってしまうような気もする。もしこの苦痛が永遠に終わらなかったらどうする。もしこんなにしあわせな、ずっと続いていてほしいとさえ思う夢から一瞬で目覚めてしまうようなことが起こったら。時間というものが途端に怖くなる。
そもそも、私は時計をなるべく見たくない。嘘の時間を知らせてくるから。見るたびに違う時間を示すが、一体それは本当なのだろうかといつも疑問に思う。ほんの数秒間目を離した隙に、平気で30分後の時刻に切り替わっていることがしばしばあるではないか。
知っている。時間は誰にでも平等だなんて嘘なのだ。昨日読んだ雑誌に書いてあった。

 

勘違い

「今朝、靴下を履くのに失敗して16箇所骨折した」
中学時代、全身の骨が発泡スチロールでできているクラスメイトがいた。日常生活において様々な不便を強いられているようだった。成績は優秀で、努力家だった彼は中1で漢検準1級に合格し校内でも表彰を受けたりしていた。一方で運動は苦手であった。すぐに骨が折れてしまうからである。
ある日、彼は誰にも何も言わずに突然転校した。先生に彼のことを聞いても何も話してもらえなかった。次第にみんな、彼のことは忘れていった。
十数年経って彼が夢に出てきた。中学校の校舎の屋上の柵の外側に立ち、彼はこちらをじっと見ていた。私は彼に近づこうとしたが身体がぴくりとも動かなかった。全身の骨が砕けた発泡スチロールになっている。彼は「またね」と呟き、風に吹かれるように私の視界から消えていった。


部屋の壁掛け時計が人の顔に見えたのだ。笑うばかりで時刻を教えてはくれない。おととい電池が切れてから交換していなかったから、どうせ時間を知ることはできないのだけれど。
電話についている数字のボタンの1を2回、7を1回の順に押すと、電子音とともに10秒毎に現在時刻を読み上げるだけの女性の声が聞けるらしい。昔に母から聞いたことがある。私はその通りにやってみたのだが、電話に出た女性は「これは不幸のメッセージです。5日以内にあなたに不幸が訪れます」としか話さなかった。


おとなしい、口がついていないみたい。
よく周りの人たちからそう言われたのを思い出す。何も喋らず、何も口にすることなく、ずっと使っていなかった口はいつの間にか唇がくっついて塞がっていた。特に困っていることはないが、そろそろものを食べたいような気がした。
私は拗ねた子供の如く膨らませた自分の頬をはさみで切った。粘土を切っているような感触だった。あいた穴から空気が抜けた。なにか食べようかと思いキッチンを探したが、芽の生えたじゃがいもが転がっているだけだった。
頬の穴から水道水を飲み、気まぐれで久しぶりにたばこをくわえた。くわえたというよりは穴に差し込んだ。しかし、うまく息を吸えず火をつけることができなかった。

記録

自室のベッドで昼寝から覚めたときのことである。窓の外が暗くなってきているのが見えて、随分長い昼寝をしてしまったなと思い体を起こそうとした。そのときにはすでに、何者かがそこにいた。
私は何者かに長いスプーンのような金属の棒を陰部から挿し入れられ、腹の中を抉られていた。驚くことさえせず、冷静に、自分の肉や内蔵を掻き出される様子を私はただ黙ってながめていた。金属の冷たい感覚はしたが、特に痛みは感じなかった。相手がだれなのかはこちらからは見えなかった。私は気を失ってしまった。
そのとき目の当たりにしたイメージははっきりと脳裏に焼き付いていて、たびたび鮮明に思い出す。その日からなにか体の中にあるべきものが欠けてしまったかのようにスースーとする感じがするし、たまに痛いような気がする。

 

部屋の床に3センチほどの四角い物体が落ちていた。つやつやとした黒い色をしている。よく見ようとして瞬きをすると視界から消えてしまった。何気なく視線をカーテンに移すと、再びそれは現れた。はじめは虫かと思ったがいつまでも動かないので生き物ではないようだ。しばらくして、消滅した。
この現象は、様々な場所で数日おきに起こり続けている。

 

夜、眠ろうとしたとき、部屋の蛍光灯のあかりを消す紐をひっぱると天井が抜け落ちた。埃が舞ったり、蛍光灯の破片がそこら中に飛び散った。
腐っていた天井の木材と一緒に、人間の死体が落ちてきた。かなり干からびていていて、誰なのかも男か女かも分からなかった。その時は眠たくてしかたがなかったのでそれらはそのままにして寝た。
朝になると私が目覚める前に誰かが天井と蛍光灯を直してくれていたので元通りになっていた。