赤ちゃん

2018年10月の時点で、次の記事には創作小説を載せようと思っていた。絶対に面白い、私にしか書けないようなストーリーのアイデアが浮かんだのだ。それをどうにか形にしようと筆を走らせた。出だしは好調だった。書きたい思いと、それに応えるかのように湧き出る言葉がたちまちのうちに噛み合い、すらすらと文章ができあがってくる。気持ちよかった。しかし、快感は長く続かないから快感なのであって………。言い回しを考えているうちに手が止まる。もっとしっくりくる言葉が必ずあるはず。言いたいことは他にもっとあって。そもそも私は本当は何を書きたかったんだろうか。一度詰まると再び書き出すのが途端に難しくなる。私はこの感覚を知っていた。何かに似ているなと思った。ああ、ロードバイクで坂道を登っている感覚に近いのだ。ゆっくりでも脚が動くうちはなんとか登れるのだ。堪えきれずに一度漕ぐのをやめてペダルから足をおろしてしまうと、また漕ぎ出すことは至難の業だ。ふと、初めて手稲山を登った日のことを思い出す。思い出す。すべてが正解である必要はない。むしろこの世に正しさなんてものはないのかもしれない。決めたことを守り抜かなければならないわけでもない。あの日から何度坂道を転げ落ちただろうか。ただ確かなのは、私は私の足で地面に立っているということだけだ。思い出ってとことん美化されて綺麗だな。私は小説が書きたかった。たった1,000字程度書き殴っただけで、言葉に詰まって動けなくなった。悔しいけど小説は諦めて何かそれっぽい記事を更新しておこう。5ヶ月も経ってしまったし。それだけの話である。みじめな近況でも語ると今時のブログっぽくなるだろうか。ここからはみじめな近況を語ることにする。会社の先輩にいじめられている。挨拶や話しかけたことは基本的に無視され、かと思えば気に入らないことは耳をつんざくヒステリックな声で喚き散らされたりする。私が近くにいると文房具などを机に叩きつけたりして威嚇してくる。恐ろしいおばさんだ。人を攻撃する目的で生きるのってエネルギー使いそうだよなと客観視する。人を攻撃する目的で生きたことがなくてよかった。では人に親切にすると良いことがあるのか。特にない。何もない。こうして私は死ぬまで意図せず人を傷つけながら生きていくのだ。