不幸で仕方ないよ

日々の生活の中で、“幸せな瞬間”というものを意識したことがあるだろうか。
私はベッドで毛布にくるまるとき、言い表せない喜びを感じる。ふかふかな毛布に肌が触れる瞬間の、ちょっとひんやりするところも好きだ。体温で徐々にあたたまってくると、この上ない幸福感に包まれる。あらゆる不快な感情とは無縁の感触。きょうも私はがんばりました。褒めてくれる人がとなりにいてくれたら最高だけど、それはまあ仕方がない。
あと最近は、湯船に浸かりながらアイスを食べるのにはまっている。こたつでみかんなんて比じゃないくらい至福のひとときを過ごせる。もう私は大人だから、こっそり風呂場にアイスを持ち込んでもママに怒られることもない。なんなら、ほんとは危ないからよくないらしいけど、徳利に注いだ日本酒を持ち込んだって、誰にも怒られない。生まれたままの無防備な姿で、誰にも邪魔されず、自分が自分のままでいられることの、なんと気持ちの良いことか。
それはそれとして。私はせいぜいこの程度の幸せのために毎日生きているし、これからも生きていくのだ、きっと。これ以上の幸せをはやく知りたい。はやく、これ以上の幸せのためにがんばらせてほしい。
焦りは視野を狭める。決断だけははやいけれど、たくさんある選択肢からことごとく見逃してしまう正答。目がすべる。まっすぐ前を見ていられない。頭がおかしくなっているのだろうか。いや、足元が不安定すぎるせいだ。砂でできてる。もういい、わかった。砂になりたい。砂になって、風が吹いたくらいで、か弱く、流されてしまいたい。ただすべてに従いたい。逆らうのに疲れた。それでいい。全部その通りにするから、何も選べないままでいいから、そっちで好きにやってほしい。考える時間をちゃんと作ってくれないなら話を振らないでほしい。待てないなら求めないでほしい。ところで、幸せっていったい何なんだ。
時間は何もかもをおおげさにする。貸したまま返ってこないお金の額が増える。高校生活が楽しかったような気がしてくる。過去に愛した人間が死ぬほど憎い。買ってから読んですらいない本を好きな本だと語ってしまう。私は親を捨てたことになっているらしい。私は生まれてからずっと不幸な気がする。
「若いのに偉いなあ」って言う大人達の気持ちが分かってきた。皮肉だ。心じゃ1ミリも偉いなんて思っていない。何も知らずにまっさらだった若さが、人間や、社会や、思想や、排気ガスとかで、どんどん濁っていくところを見て、密かに喜んでいるのだ。若さはそれだけで武器だとはよく言うが、私はそうは思わない。武器を持っているから強いのではない。何も持っていないからまわりに守られている。ひとりで大きくなったみたいな気で、自覚なく与えられる安心感に身を委ねて、若いから失敗だってするよね、なんでもできちゃう。若いのに偉いなあ。私は小学生に戻りたい。