平和なんだと思う

今すぐ死にたいというわけではないのだ。長生きをしたくない。この生活をあと50年とか、60年とか、続ける気がない。はっきりとしたゴールがどこにあるかもわからないのに、だらだらと続けていたくない。
朝は午前5時30分には起きる。犬の毛をブラシで梳かし、えさを与える。自分自身は朝食をとらないことのほうが多い。10分くらいで化粧をして、着替えたらさっさと仕事に行く。早起きは清々しいけれど、かと言って朝は時間がない。私は車で通勤している。家を出るのが5分遅れたらとんでもない渋滞に巻き込まれて到着が1時間遅れる。そんな街に住んでいる。私はこの街が大嫌いだ。しかし、いまの仕事は好きだ。自分の中で、仕事に関しては唯一誇りが持てる。毎日新しい発見があり、自分が成長していくのが感じられる。積み重ねてきた経験と、自分の持ってる最大限の知識を引っ張り出して取り掛かるとき、頭の中で何かが必死にぐるぐると回りだす音がきこえる気がする。全身の細胞がよろこぶ。とても気持ちの良い時間だ。休憩時や、たまにある少しの空き時間には先輩の気色の悪い自慢話にきゃぴきゃぴと相槌をうち、首がとれそうなほど頷いてなければならない。ただそれだけが不快ではあるが、その話について語ると永遠に愚痴が出てくるので、ここまでにしておく。いくら楽しいとはいえ、うまくいかないことなども多々あるのだが、いつも心地良い充足感に包まれながら仕事を終えて帰宅する。それからは少し勉強をしたり読書をしたりする。最近は日本史の勉強が楽しい。歴史は学生時代にはいちばん苦手な科目だったこともあり、今までほとんど触れてこなかったのだが、ついこの間、その深く刻まれ続けた苦手意識をいとも簡単に覆してくれた名著に出会えた。知るということは素晴らしく、知識は心を豊かにする。知識欲を抱き、それを満たすという行為について、それは自由であり、すべての人に平等であり、人が人らしく生きるための根本的な部分だと思う。私の仕事にも関係してくるのだが、人間生活を支える材料はこの世にうんざりするほど溢れかえっているが、それらをうまく扱える人間でありたいものだ。閑話休題。いつも夕食は簡単に済ませる。野菜と、何か肉を焼いたやつとか。この頃気づいたのだが、私は基本的に食に興味がないのかもしれない。さて、入浴を終えたら、お待ちかねの彼氏と電話をする時間だ。という妄想をしながら、ベッドでごろごろする。ゲームをしたり、ベッド上でノートパソコンを開いてYouTubeを見たりしてそのまま寝る。YouTuberの話し声を聞きながら寝落ちする。何もなければそのまま朝が来るが、眠れない夜というのはとにかく苦しいものだ。とりとめのない不安に襲われる。冒頭で挙げたような、終わりの見えない将来について考えてしまう。
長く続くものごとに対してあまり良い感情を持たない。楽しいことにはきっぱりと終わりがあるから楽しいのだと思う。今の暮らしには、まあ、かなり妥協すればそれなりに満足してはいるのだが、何か終了の目安のようなものがないと、計画の立て方もわからないし、休むべきタイミングも計りかねる。これから何十年も生き続けることを考えると、逆に息が続かなくなる。このようなどうしようもない精神的苦痛が、私の睡眠時間をどんどん奪っていく。だから寝る直前までできるだけ何も考えないで済むように、暗い部屋の中でうるさく光るディスプレイを眺めて頭を麻痺させる。(むしろ脳に悪影響らしいが。)3時とか4時まで眠れない日には、たとえその後わずかな眠りにつくことができたとしても、大抵情けない夢を見る。私は睡眠が苦痛で仕方ない。とにかくはやく朝が来ることを願う。毎日この繰り返し。はやく仕事に行って365日働きたい。