仙台浪漫 第二章 loftの階段

南さん。下の名前はなぜか教えてもらえなかったので苗字で呼んでいた。東北大学の工学部に通っているらしい。学年も歳も聞かなかったが、就活中だという話を聞いたのでおそらく22歳とか、そこら辺だったと思う。
弾き語りを聴いていたとき、隣にいた南さんに話しかけられた。今思うと我ながら意味不明な思考回路だなと思うが、私はその時一瞬で「あ、これがナンパか」と思った。実際ナンパだったのだが。さらに意味不明なのが、ナンパ目的で声をかけられた私は、ナンパされる→断るのは申し訳ない→付き合わなくてはいけない→彼女の有無を聞こう、という結論に至ったことだ。まずナンパしてるんだから彼女はいないだろとツッコミたい。そしてなぜ付き合うこと前提なのか。
「彼女とかいるんですか?」
いつ思い出しても、まるで危機感がなく後先考えない自分の言動に相変わらず驚いていしまう。“小さなライブハウスに集まったときの、同じ空間を共有している仲間意識みたいな独特の雰囲気”に呑まれ、私は正常な判断力を失っていたに違いない。そう思うことにする。
私の支離滅裂な質問に南さんは目を丸くしつつも、ああ、いろんな手間が省けてこりゃ幸いといったところか。すぐにその顔は笑みに変わる。
「いるように見える?」

「せっかくだからお茶でもしよう。いいケーキ屋さんあるんだよね」
「はい」
しかし私は、自ら大胆な問いを投げかけておきながら、経験したことのないことを突然そつなくこなす技量があるわけもなく、これからどうするのが正解なのかわからずにいた。後にも引けなくなり、とりあえず南さんについて行くことにしたのだった。南さんおすすめの“ケーキ屋さん”とはキルフェボンのことで、店内は満席だったのでテイクアウトすることになった。
「…どこで食べるんですか?」
「じゃあドトール行こう」
「えっ?」

そこから一番近いドトールへ行き、アイスティーを飲みながら、キルフェボンのバナナタルトを手掴みで食べた。なんだろうこれ、と頭の片隅で思いながら、それでもこの非日常体験を楽しんでいる自分がいたのも事実である。それからしばらくドトールで南さんと会話をした。ここで初めてお互い自己紹介をした。なりゆきで携帯の電話番号とメールアドレスも交換した。私、この人と付き合うことになるってこと?と、ぼんやり考えていた。

何をそんなに話したのか覚えていないが、気づけば時刻は20時になろうとしていた。私は門限が20時で、外泊はもちろん禁止だった。仙台駅から自宅まで30分近くかかるため、この時点で門限に間に合わない。店内の壁かけ時計を気にしていると、南さんはそれに気づいたようだ。
「あ、時間?」
「すみません、そろそろ帰ります。私、親が厳しくて」
「そっか。駅まで送るよ」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
私が席を立ち鞄を取ろうとすると、突然南さんにその手を掴まれる。
「ちょっと待って」
「あ、あの…」
それから南さんは黙ったままだ。無言の南さんに手を引かれる形で、私たちはドトールを後にした。

南さんに手を引かれながら、もう片方の手で制服のポケットの携帯電話を確認した。サイドボタンを押すと、背面に時刻が表示される。20時を過ぎてしまった。お母さんに殺される。着信履歴は5件。メール3通。
「あの、ごめんなさい。ほんとにもう帰らないと…」
依然として南さんは言葉を発さない。私はお母さんになんて言い訳をしようかという考えで頭がいっぱいだった。美術部の美咲にアリバイ工作を頼もうか。私の不安もよそに連れてこられたのは、ペデストリアンデッキから入るloftの2階。化粧品や美容グッズのフロアだ。買い物をしに来たわけではないことは明白だった。なぜならその場所は、たしかにloftの店内ではあるが、エレベーター脇の、ひと気のない階段の踊り場だからである。
なにがなんだかわからずにいる私を、南さんは壁に押しやる。いわゆる、壁ドンというものである。いや、こういう場面BL本で死ぬほど見るけどいざ自分がされるとなるとあんまり萌えないな、とか、さっきお母さんに連絡しとけばよかったとか考えていると、南さんの顔が近づいてきた。そして唇同士が触れた。その瞬間、不思議とさっきまでの焦りがスッと消えて、私は妙に冷静に“ファーストキス”の感覚を噛みしめた。あー、こんなもんか。