平生

枕元に落ちている黒い糸くずにドキッとしたり、鏡が私を守ると信じてみたり。
ゴミ箱いっぱいの髪の毛と、黄色の付箋紙。
コップの水に埃が浮かんでいる。
午前4時頃、カーテンの隙間から外を見る。
風が、空が、しずかに朝の準備をしているこの時間が嫌いだ。
向かいの部屋の明かりがついているのを確認してから、やっと安心してメガネをはずす。
視界の端に手が見えて、私はそれに意識をゆだねる。
私の新しい職場はサンドウィッチ屋だ。
トマトの正しい切り方はどうだったか。
ドレッシングの酸味を思い出して鼻の奥がツンとする。

私は何度も、数え切れないほど同じ光景を見てきたと思う。
いつも決まった時間にネコが現れて、私はそれを追いかける。
水の入ったペットボトルが並んでいるその隙間に、ネコはからだをすっぽりと落ち着かせている。
私が黙ってネコの目を見つめ続けると、ネコも黙って私の目を見つめ返す。
血飛沫が白い壁を汚した。

茶色の折り紙で、チューリップを折る。
あざやかな色を選ぶことはぜいたくだから。
おかあさんに買ってもらったメモ帳を全部ともだちにあげた。
ともだちには親切にしたほうがいいから。
顔に靴を投げつけられて、口の中に土が入った。
ありがとう。
ともだちが見つけて持ってきてくれたから。
ろうかの窓から体操着を外に落とされた。
でもそれでよかった、体育とか、出たくないから。
ひとつも間違ったことなんか、おかしいことなんかなかった。

朝に寝てもいいし、夢はすぐにあきらめてもいい。
泣いてもいいし、好きなものしか食べなくていい。
食べ物を食べなくてもいい。
タバコを吸ってもいい。
嘘をついてもいい。
人を愛してもいい。
高校生の頃から聴いている曲がある。
太陽は登るとか、あまりにも自分には関係ないことを言う。
それでも、数え切れないくらい聴いた。
好かれるために嫌われる。
ひとりになるために助けを求める。
死ぬために生まれた私たちに、今さら文句を言うのは誰なんだ。
毎日、吐き気がする。

自分以外のすべてのスピードが速すぎる。
おわりが見えないすべり台に体をあずけている。
困ったなと思っているうちにすでに何もかも取り返しがつかない。
ごめんなさい、もう何もしたくないんです。
文字が思い出せない。
時計の下に、日付の下に、私を救う、たった二文字を。
思い出させて。
汗と涙が髪の毛を濡らして、自分が世界で一番かわいそうだと、声を出さずに叫ぶ。
私と私の好きなひとのために用意された世界が、たぶんどこかにあるはずなのに。
夢を見ているんだろうか。
失敗しているんですか?この人生は。
きっと鍵をなくしただけなんです。
そんな目で見ないでください。
戻りたいところなんてなければ、変わるのが怖いわけでもない。
いま抱えているいろいろが、ただ混乱しているうちに終わってしまいそうな気がするのが怖い。
世界とか、人生とか、そんな大げさな、幼稚な言葉を使うつもりはなかったんだけど。
生きるって嘘みたいなことばかりだと思っていた。
本当のことらしい。
割れた皿とか、枯れたサボテンとか、全部本当のことらしい。