さよなら

「俺さ、これから高校の同窓会あるんだ。待ってられるよね?」
「わかりました」
「20時には抜けるから。じゃあまたあとで」

13時頃、蒲田駅で待ち合わせをして、ふたりで焼肉を食べた。きのうの夜、突然電話で「好きな食べ物ある?」なんて聞いてきたのは、ちょっとでも私の機嫌をとっておきたいからだった。
「焼肉が好きです」
「へえ。じゃあまた」
私のことなんて微塵も興味がない。必要最低限のことしか質問されない。そっけない態度。この人といるといつも、全身がひりひりする。仕草や言葉のひとつひとつすべてが、私の皮膚を甘く刺した。甘い刺激は血液とともに全身をめぐる。Kさんにとっての私は暇つぶしの道具でしかなかったけれど、私はたぶんKさんを信仰していたし、私にとってKさんは絶対的な存在だった。

焼肉屋を出てすぐ、そのにおいを2人で纏いながら電車に乗った。私は基本的に、言われたことに従い、後に着いて行くだけだった。浜松町でモノレールに乗り換えた。海が見えてドキドキした。連れてこられたのは天王洲アイルだった。駅に着くやいなや、これから同窓会なんだと言われた。時刻は15時をまわった頃。これから海を見ながらデートだと思っていたけど、違ったようだ。

21時を過ぎ、私はすっかり暗くなってもうなにも映さない水面をじっと見つめることしかできなかった。ふれあい橋のライトがまぶしくて、ひたすら水面を睨んでいた。泣いていたかもしれない。

しばらくして、Kさんの話し声が聞こえてきた。私はとっさに声の聞こえる方を向いた。たしかにKさんだった。同級生の女性2人と並んで歩くKさんがそこにいた。決して私に向けられることのない笑顔で談笑するKさんと、女性たち。3人の姿はやがて駅に消えてゆき、私はその様子を黙って目で追うことしかできなかった。背伸びをしたハイヒールのかかとがズキズキと痛んだ。じっとり汗ばんだ肌を風が撫でる。夏の夜はいたずらに私を嘲笑った。
傷つくのは、いつも決まって夏だった。

セピア色に加工された、天王洲アイルの夜の海。二度と思い出さないと思っていたけど、ほんの些細なことで記憶の引き出しは開いてしまうから困る。若さしか取り柄がなかったくせに、私は大人なんだと勘違いして浮かれていた。私はたいていいつも待たされる側だった。でも、それに不満を抱いたことや文句を言ったことは、一度もなかった。私が待たされるような人間なのが悪いのだから。