きっと気の抜けた朝

遠くで救急車が鳴らす音を、特別気にするわけでもなくまるでBGMみたいに聞き流しながら、髪の毛の、先の白いのをハサミで切り落とした。なんとなく、自分の髪の毛ではないような気がして気持ちが悪かった。
パラ、と、重力のままにそれは落ちた。テーブルの上に広げた宅配ピザのチラシの上。
いつかは使うかもしれなかった割引のクーポン付きのチラシも、出来損ないの髪の毛も、雑に丸めれば燃えるゴミへと成り果てた。

また唇から血を出して、いつものように舌で舐めた。見えていなくても血の赤色が分かるのはなぜだろう。
聞いた話によると、インターネットにはピンク色の血がからだに流れている女の子がいるらしい。
黄金色のお酒もあれば青色のお酒もあるし、似たようなものなのだろう。

食べ物を食べる気にならなくて、炭酸飲料を飲んだが、後味に血の味が混ざって、不味いなと思った。

眠気の訪れを急かさなければならない。炭酸飲料とともに3粒飲み込んでは、まだ少しだけ寒い夜をさえぎるように、異常に重い布団を口元までかぶった。

昼にご飯を食べる頃でも、夜中の2時でも、3時でも、当たり前にサイレンは目的地へ急ぐ。

眠りにつくまで

扇風機を押入れから出して、つけた
知らない間に夏だったのが怖くて、強がりで扇風機を出した
工夫してベッドの近くに置いた
ホコリが溜まってるのに気づかないで電源を入れたから、ホコリは舞い上がった
布団に落ちた、あ、かわいそう
涼しい風、きもちいい
布団から手とか脚を出して冷たい布団をパタパタ叩いた、きもちいい

じゅうぶんはしゃいで、やっぱり冷えてきたら布団をかぶる
そしたら安心する、ウトウトしてきた
布団の中はどこなのかなって、もぐって、覗いてみた
まず台湾、布団の中は台湾になった
台湾の屋台がたくさん見えて知らない人に話しかけられた
なぜかじぶんも台湾語をスラスラ喋れた
今度はどこかの工場だった
太い煙突から煙がモクモクと出ていく
それを、息をしないでずっと見つめていた
いつのまにか知らない倉庫に身体ごと放り出され、ザラザラした床に左頬がぶつかった

布団の中は危険だ
眠剤を飲んでからたしかに30分は経過した頃、布団をかぶったところでうたた寝し、変な夢を見て変な体勢で目覚めた
追いてかれる、追いてかれる、まって
また追いつけなかった

ハムスター

風が強い。
窓が揺れるたびに大きな音がなる、心臓に悪い。何がそんなに気に食わなかったのか、凶暴な風は部屋の窓を叩き続けている。まるで怖い人たちが借金の取り立てに来ているかのような気持ちになった。当然経験はないが。
大きな音はとにかく苦手で、イヤホンで耳を塞ぎながらゲームをした。

と、パリンと音がした。まさかとは思ったが窓が割れていた。
床にガラスの破片が散らばり、これはどうしたものかと途方に暮れる中、それがキラキラとしていて綺麗だとも思った。
割れたガラスといっしょに、丸いなにかが床に転がっていた。最初、丸まった靴下かと思ったが、よく見るとそれはもぞもぞと動き、黒いビーズのような小さな2つの目でこちらを見つめた。ハムスターがいた。
なにか入れるものはないかと部屋の中を探すとき、素足にガラスが刺さったがその時は気が付かなかった。
畳んでおいたダンボールをもう一度箱型に組み立て、そこにハムスターをいれて飼うことにした。

ハムスターの名前を考えているうちに、眠気がきた。
なぜかいつもと違って目が赤いクマのぬいぐるみを抱きながら、昼寝をすることにした。


目が覚めると外は暗くなりはじめていて、向かいのマンションの廊下に灯りがつくのが見えた。
窓は割れていなかったし、ハムスターもいなかった。ダンボール箱は畳まれていた。
風は穏やかで、深い青色をした空に雲をゆるやかに泳がせている。

カーテンを閉めて、クマのぬいぐるみを撫でた。

マクドナルドにて

時刻は16時を過ぎた頃。

女子高生が化粧をしている。
学校が終わってあとは家に帰るだけではないかと疑問に思うが、海外のお菓子みたいに真っ赤な口紅をした彼女は、目を細めてアイラインを引いていた。
鏡に向かって2、3回瞬きをしてメイクの出来を確認してから、iPhoneを取り出すと周りを気にする素振りも見せず自撮りをした。
その瞬間、そこは彼女の自室だった。


男子高校生4人のグループが視界に入った。
彼らは誰ひとり言葉を交わすことなく、スマホを操作してる。それなりに騒がしい店内に不釣り合いなほど無言で、無表情であった。
たまに片手で器用にハンバーガーを食べる。ドリンクを飲む。あくびをする。頭を掻く。すべての動作において徹底して彼らの目はスマホの画面に向けられている。
通路が狭く、ひとりの椅子の背もたれに他の客がぶつかったが、それでも彼は画面から目を離さなかった。
彼らの世界はスマートフォンの中だった。


壁際の席に、リクルートスーツを着た女性がひとり。
履歴書と、びっしりと文字が書かれたメモを手に、ぶつぶつと何か話していた。
机の上のポテトは、見る限り萎びてしまっている。トレーの縁に、食べこぼしたレタスがへばりついていた。
お手本のように背筋を伸ばして腰を掛けているのは、マクドナルドのがたつく椅子だが、彼女にとってこの空間は、面接会場だった。


ポテトの塩気でぴりぴりする口元をティッシュで拭った。ぬるくなった烏龍茶は美味しくなくて、残すことにした。
うん、ご飯いらないってば。
化粧をしていた女子高生が、電話をしている。

蝶にならない

枕元に置いたスマホバイブレーションの音がして目が覚めた。アラームをかけた覚えはなく、眠りを妨げられた不快感を伴いながら画面を見た。
メールが一通。ずっと行っていないCD屋のメールマガジンだった。それを開くこともせず削除すると、異常に重い布団を押しのけてからだを起こした。

朝ごはんは食べない。特別は理由はないけどあえて付けるとすると食べたくないから。大学生の時からそうだ。台所で水を1杯飲んでから、ゲームをするつもりでまたベッドに戻った。

壁にもたれて少しぼーっとした。肌寒かったので、重い布団を無理矢理からだに巻きつけた。
すると、ふと子供の頃を思い出す。
布団にくるまって顔を出すと、蛹みたいだと母が笑った。

気が付くと海の底にいた。大人になっても蛹のままの自分は、海の底に沈んでしまっていた。藻掻く手足も殻の中。きっと、ずっと、水面を眩しそうに見上げることしかできない。海水は自分の涙で、どんどんかさを増した。


音がした。
聞き馴染のあるバイブレーションの音。
目を開けた。
自分が被っているのは蛹の殻ではなく、布団。
そして異常に重いやつ。
いつものベッドの上、いつもの景色。
スマホの画面を見ると、メールが一通。
ずっと行っていないカラオケのメールマガジン
それを開くこともせず削除した。

金のつぶつぶ

そばを茹でた。お昼ごはんにそばを食べようと思ったから。

冷蔵庫の中はぎゅうぎゅうで、いつ食べたか忘れてしまった缶詰の開いたのとかもある。
さっき買ってきた紙パックのジュースをいれる場所がなかった。
めんつゆの瓶がふたつあった。片方は封が開いてなくて、もう片方は残り少なくなっている。
半端な方を取り出して、台所のシンクに流した。瓶を水でゆすぐ。空いた場所にジュースのパックをしまった。

新品のつゆでつけ汁を作って、そばを食べた。
食べてる最中に、半端な方からつけ汁を作ればよかった、と思った。
捨てなくてもよかった。
変な気持ちになったけど、気にしていない風を装った。
食べ終わった皿を流し台に持って行くと、ついでにチョコのお菓子を手にしてベッドにわざと勢いをつけて飛び乗った。


髪飾りに、金のつぶつぶの模様が付いている。
よく見たいと思って、部屋を暗くした。
あとから思ったけど、よく見るためなら部屋を明るくするはずなのに、確かにその時はよく見るために電気を消した。

金のつぶつぶは星みたいだった。
愛おしむ気持ちで、つぶつぶを指でなぞった。
まわりの音が急に聞こえなくなった。
今この場所で、自分しか知らない時間が流れているということを感じた。

カーテンが開いてる。
掌に宇宙をのせて、窓の外の健全な世界を眺めた。
しばらくして、車が燃えたり、ビルが飛んだりした。

仕事を休んだこと

2回目。
前回は風邪。

嫌だったけど、時間に間に合うように化粧をして着替えて、電車に乗った。
家を出る直前に思い出し慌てて掴んだままでいた社員証。紐が絡まっていたのを取ろうとしたが、自分の顔写真が見たくなくて雑に鞄に突っ込んだ。

夕方からの仕事の時は、タイムカードを押す前に休憩室でお腹を満たしてから出勤していた。きょうもそのつもりでコンビニでアップルパイと麦茶を買い、社員のロッカー室に向かった。

ロッカーの戸を開けて3秒間は思考が停止した。
洗濯するために持って帰った制服を忘れてきてしまった。これじゃ出勤できない。
とにかくその場からいなくなりたいと思って、更衣室を勢い良く飛び出して、どこに行くかもよく考えないまま、できるだけ職場から遠ざかった。

あとで思ったけれど、そこで同じ時間帯の先輩に遭遇しなかったのは奇跡に近かった。

少し歩いて、オフィスビルを見つけたのでトイレに駆け込んだ。鞄からPHSを取り出して、4つしか登録してない番号の、上から2番目に電話をかけた。
熱が下がらなくて休みます、ごめんなさい。
比較的冷静だったが、電話を切ると、全身から力が抜けて視界が白くなった。息も苦しかったが情けなくて、しずかに泣いた。

帰宅してから、しなびたアップルパイをかじった。