ガラス越し

枕に顔をうずめたまま、ごめんなさいと言った。気づかないふりをしていることに気づいている。ごめんなさいと言った。自分が悪いことにした。ごめんなさいと言った。罪悪感を人に擦り付けるように、闇雲に。ごめんなさいと言った。私は可哀想。


長靴を履いて外に出た。色を失った世界は、望まなくても私をひとりぼっちにしてくれる。広すぎる視界は選択肢を奪い取り、勝手にしろと突き放す。遠く続く地平線に閉じ込められている。住む人はあたたかそうな顔をしているが、冷たい街だと思う。

薄暮の空を見上げた。暗く赤みを帯びた雲が流れる。そんなに寂しい色をしていないで。きれいなところだけ切り取るのをやめてほしい。よく見えることは良いことばかりではない。受け止めきれない寂寥感をはらんだ景色から逃げ出すように、眼鏡を外して目を背けた。なぜ、乾いた冬の空気はまつ毛を濡らすのか。かじかむ手に白い息を吐き出した。

夜の仕業

テレビのコマーシャルのセリフが耳に残って、そのとおり真似して話した。するとそれを知らない人にとっては私が突然虚言を弄したことになっていた。馬鹿にされたことへの怒りよりそれが私の本心だと思われたのが本当に気持ち悪かった。もうコマーシャルのセリフを覚えても真似するのはやめようと思った。分からなくていい。関係ない。関係ないけど、人は真似が好きだと思う。

 

あれから少し考えた。ひとは変わるということ。考え方も好みも、容姿も変わっていく。「変わったね」と人に言うとき、そこに込められる意味はいつも同じとは限らない。価値のある変化なら微笑ましく思う。称揚することもある。一方、以前より落ちぶれたようであれば幻滅し、軽蔑の意味でそう言うこともあるのではないだろうか。または、これまでが幻に思えてしまうような変化、空虚感か。変わるということは必ずしも成長するということではない。できるだけ多く、誇れる変化をしていきたい。ひとりで生きているわけではないから。

泣いた日の次の朝。腫れたまぶたにアイシャドウを塗る。無価値で寂しい変化だった。

白紙

実家に戻って家族と生活するようになった。時の流れは早いもので、生活拠点を移してからすでに1ヶ月が経過していた。
1年半のうちに3回も住む場所が変わったことになるが、これからはずっとここに居続けてもいいという事実を実感し、改めて胸をなでおろした。もみくちゃにされながら揺られてきた満員電車内で、やっと席に座れたときのような安堵感があった。
1週間もしないうちに睡眠薬を服用しなくても入眠に30分と掛からなくなったのには驚いた。だんだんと正常な生活ができるようになってきているが、依然として無力で、気持ちばかり焦り、焦っているのに何もできないでいる。電車を降りた駅で迷子になり、これから向かうべき場所があるのに次に乗る電車が分からない。
地図をなくした。地図というのは確信のようなものだ。どこかで手に入るといいのだが。今はまだ、手ぶらで知らない土地を彷徨っている。

 

ずいぶん強気な言葉で得意気に綴られた日記を読み返してため息をついた。そのページを油性のペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶし、力任せに引き裂いて灯油に浸し、そしてマッチを擦って火をつけた。頭の中で。
ずっと前に、「人の心が変わるのは悪いことなのか」と問われたのを思い出した。そのとき私は、「それは悪いことだよ」と答えた覚えがある。きっと本当は、人の心が変わるのは正しいことで、誰も責めることはできない事実なのだと思う。
削除、キャンセル。その二択は実に簡潔で環境にもやさしい。しかし、腹が立ってしかたがない。

 

0.2ルクス

溶けたチョコレートに指を突っ込んだような色の爪が、スマートフォンを操作するたびにちかちかと光を反射してうるさい。マニキュアを塗ってぶりっ子をしたけれど誰にも褒められなかった。でもそんな自分が今は少しだけ好きだ。自分で良いと思えなければ他人に認められるわけがないのだと、強気に人生を歩むひとの考えを真似した。環境や病気に甘えていつまでも弱気なのが恥ずかしく最近は筋トレをやり始めた。自分のためなのである、生きるということは。心境の変化を嬉しく思うしきっかけを与えてくれた人物にはほんとうに感謝している。ただし上品な艶のある爪以外は下品な偽物である。
 
暗闇でなければできないことがあると思う。
相手の顔が見えないまま並んで歩くこと。自動販売機に蛾がとまっているのを見つけて小さく悲鳴をあげること。部屋が散らかってるのを無視できること、壁の傷を見てみぬふりすること、ベッドの上でのキス。ろうそくの灯りをふたりで見る。
暗いと見える範囲が狭くなるのは当たり前のことだが、縮んだ世界を独占できる感覚が私はとても好きだった。暗闇の中では、無防備で、寂しくて、目に見えるものすべてが愛おしく感じた。
またいつか誰かと暗闇を共有できる日が来るといい。
 
家を出る準備をして積み上げたダンボール箱に足の小指を引っ掛けた。痛くて泣いても誰も見ていなくて、私は思わず笑った。明るくないと前は見えないのだ。

あの日のまま

なぜか振り込まれた15万円、こまごまとした買い物、腱鞘炎になるゲーム、むかし流行った映画のDVD鑑賞、馬鹿の悪口、そういうので暇つぶしをして過ごしていた。ウォークマンTHE YELLOW MONKEYの曲を聴きながら。
 
東京に行くって言ったのは嘘になった。本当は行きたかったけど結果としてそれは嘘になった。履歴書は10社に提出しそのうち面接を受ける権利を得たのは6社だが、ぜんぶ無視して砂場に豆を植えたりした。いつかできるだろうか、正しい社会貢献が。
休職期間も2ヶ月目にさしかかった。医者の言葉を信じたはずだが、いい事ばかりではなかった。

ベッドの上にいると頭の中で制御装置みたいなのが解除されるのがわかる。なにもかも許された気持ちになる、気がする。
 
なぜか振り込まれた15万円。
その節はありがとう、ごめんなさい。
こまごまとした買い物。
いつもよりちょっと良い洗剤やシャンプーなどおもに少しだけ背伸びをした生活用品。
腱鞘炎になるゲーム。
音楽ゲーム。たまにひとを殺して経験値を得た。
むかし流行った映画のDVD鑑賞。
伊坂幸太郎の作品をいくつか観た。
馬鹿の悪口。
馬鹿の悪口。
ウォークマンTHE YELLOW MONKEYの曲を聴きながら。
ボーカルが鼻で笑ったのがかなり面白くて、私は2秒後に鼻で笑った。

マメ

誰に言われなくても好きに生きてるひと。
好きに生きたいくせに他人からの評価にとらわれて生きにくいと嘆く馬鹿。本当に馬鹿。
ひとを思いやることができない奴を見て最低だなと思うけど、そういう奴に限って愛されるのはどういう理屈か。自分を犠牲にし相手を煽てて煽てて煽てて煽てて煽てていたら完全に舐められ、馬鹿にされ、どうでもいい人間だと認識される。
肋骨が浮き出てきた、仰向けの自分の身体を汗ばんでる手で触った。
痩せ方が下手、不健康で情けない。愛されない。自己アピールが苦手なので笑えない思い出話とかを笑いながら自慢する。不幸自慢うるせえ。
話しているひとの顔を見なさいとだいたい小学生で習う。笑ってほしくて不幸自慢する私を見るそれは軽蔑の目。ですよね。笑えます。
基本的に自分の愚行を笑うのは自分だけだということも最近気付いた。誰も見てない。評価を気にしていたはずの、審査員的な人間、そんなものは自分の妄想だった。
生きにくいと悲観視してたこの世界、妄想が勝手につくりあげてしまった、たぶん、つまり、ファンタジー。
ファンタジーを生きていたので。
好きに生きてるひとのほうがよっぽど現実見えてる。現実を見て慎ましく生活を送ってきたと思ったら、架空の世界に生きてた。
やることないから田舎のスーパーに歩いて行った。100円で売ってたさやえんどうの種を買ってきた。帰り。コンビニでアイスを買って食べた、その帰り。誰ひとり遊んでいない錆びた遊具が置き去りの公園に寄って雑草が生い茂る砂場らしき場所にさやえんどうの種を全部ばらまいて大きく育てよと願ってアイスの当たり棒を突き刺して、ほんとに家に帰った。

突然起きてクッキーを食べた。
たしか午前1時半頃に目が覚めてしまった。
スマートフォンの画面に細かい虫がたかっている。多分それは暗い部屋の中で唯一光を放っているからだ。虫の生態に詳しいわけでないからあくまで推測にすぎない。
クッキーはいつからそこにあったものか特定できないけれど、私が4日前にここに来たときにはすでに封が開いていたのは確かである。ゆえに湿気ているし練りこまれたチョコレートのかけらは溶けてだらしなく伸びているのだ、きっと。きっとというのは部屋は暗いままなので目視でよく確認した訳ではないからである。
はっきりしない要素の集合体みたいな空間で、はっきり言ってまずいクッキーを無言で咀嚼しては飲み込んだ。
2枚めに手を付けようとしたところで、そもそもクッキーを食べようとした理由も分からないことに気づいた。
確かに眠くて眠っていたのに、2時間ほどで目が覚める自分の身体の仕組みも、私には分からない。